ヨーガとインドとあれこれ
by hng-yoga


2013年 新年おめでとうございます

平成になって今年で四半世紀が経ちます。昭和の記憶の方が多かったはずが、いつの間にか平成の思い出が増えていました。今年はどんな思い出が加わるのか楽しみです。

年末に興味深いメールが届きました。私の友人であり、師である相方ひろし先生のタイで行なわれたリトリートに参加された、高野山からバンコクのタイ寺院に赴任中の和尚によるヨーガについてのエッセイです。

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相方ひろし先生ひでこ先生

H.K.です。この前のワンサニットを経験して、ヨーガについてのエッセイを書いてみました。読み捨ててください。

ワンサニットでの楽しい日々も終り、そろそろ1ヶ月が経とうとしている。このごろ相方先生のカイヴァリヤダーマ・ヨーガは果たして、現代のストレス社会を生きる人々に、その声は届くか否か、ということをフト考えたりしている。

相方先生のヨーガに対する視座は、ヨーガを「身体的な次元」と共に「歴史的な次元」で考えていこうとする。この「歴史的な次元」からヨーガを捉えようとする視座こそが、ヨーガに何らかの期待を持つ日本の人々が最も「苦手」とするところではなかろうか。

現代人がヨーガに期待するところは、ヨーガを一回か数回やっただけで、何か「スッキリ」した感覚を得られることができる、その即効性である。仕事でためたストレスを洗い落とせるような気がする、というような、「いま、ここに抱えている問題」を一瞬でも解決してくれるヨーガである。またその段階を越えて、さらにヨーガの道を進めていくと、ポーズの「美しさ」を目指すと思う。「いま私たちの目の前にあらわれる身体の美しさ、人間はここまで身体を柔軟に、力強く華麗にみせることができる」。現代のストレスフルでタフな日本社会を、己の身体の表現一つでもって違う次元に飛び越えることができる。当座の身体の美しいを目指すオシャレなヨーガは、おそらくこれからも、若い日本の男女を引きつけてやまないであろう。

ただこの「美しいヨーガ」を目指すことは一見正しそうに見えて、危険が伴う。それはその「美しさ」を求める原動力となるのが「気合い」とか「努力」とかの一言で、片づけられてしまう恐れがある。どれだけの複雑なポーズをとれるか、否かが重要であり、その原動力となるのは、身体的にいかに「努力」をしているか、否かでなる。しかしその「気合い」や「努力」に対する理論的根拠は、薄弱である。

すべての物事を素朴な精神論で一括りにして捉えようとする人間は、概して歴史的スパンで物事を捉えようとすることを苦手とする。相方先生が「美しいヨーガ」に批判的なのはそのようなことなのではないだろうか。

美しいヨーガを重視する人たちも、時に立ち止まり、ヨーガの精神的背景に思いをめぐらす必要がある、と述べる。だが多くのヨーガ・インストラクターはそのような申し立てにこう答えるだろう。「理窟をこねている暇があったら、身体を動かせ。私たちのヨーガは実際に効果が出ているとみんな言うのだから、間違えがない」

資本主義のなれの果てまで行き着いた現代人は、目の前にあらわれる効果を求める。逆に長期的かつ歴史的なスパンで考えることを極端に嫌がる。現代のヨーガの在り方に対して、真っ向から反対意見を述べるのが、相方先生である。ただ、大多数を占めるであろう「美しいヨーガ」を求める人々に対して、その声は届くか。もしかしたら、届かないかもしれない。

でも、ヨーガの本筋はどちらなのか、と少し考えれば、おのずと答えは出ているように思われる。   H.K.

* HH バンコクの仕事/インドの研究 より


新しい年の初めに、「時間」の捉え方・考え方について想いを巡らせてみました。今年はもっと意識的に長期スパンで物事を考えるように心掛けようと思います。
どうぞ健やかで穏やかな1年をお過ごし下さい。
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by hng-yoga | 2013-01-03 13:53
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